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2005/1/5 (水) 10:33:09 粟野幹夫
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子供の教育に関しても、《まず獣身を成して後に人心を養うというのが私の主義》とし、三歳五歳までは体育を重視し、学問は七、八歳からで十分としている。
 この聞き書きが行われた前年には日本の近代社会を目指した民法が制定されている。民法では一夫多妻は否定しているものの、実は内縁関係は認めている。当時はお妾(めかけ)さんなる存在も珍しくなかったという旧態依然の背景がある。
 《私の内が夫婦親子睦じくて私の行状が正しいからといって、特に誉めるほどのことでもない。世の中に品行方正の君子は幾らもある。私もまた、これが人間唯一の目的で一身の品行修まりて能事終るなんて自慢をするような馬鹿でもないと自ら信じている…》と断りながらも、次のように記している。
 《一夫一婦の正論決して野暮でない…私の身がこの先き何時(いつ)まで生きているか知れぬけれども、有らん限りの力を尽して、前後左右を顧みずドンナ奴を敵にしても構わぬ、多妻法を取り締めて、少しでもこの人間社会の表面だけでも見られるような風にしてやろうと思っています》。
 ソシエさんは、「まず、彼の激しい調子に驚かされます。しかし、この時期、日本では開国以来、進歩してきたのに、古い考えが復活してきたのを否定したかったのではないかと思います」と指摘。「福翁自伝」は諭吉の一種の遺言で、この激しい一夫多妻批判の言葉には、日本の近代化が後戻りしないようにとの強い警告が込められているとの見方を示している。
 諭吉は、「日本婦人論」「女大学評論・新女大学」などで女権論を展開するが、ソシエさんは諭吉がこうした考えを抱くきっかけとなったのは、生誕間もなく父親を亡くし、女手一つで五人の子供を立派に育て上げた母親の存在があったからではないかと指摘する。
 諭吉がスチュアート・ミル(英国の十九世紀の哲学者)の影響を受けたことは知られているが、ミルが『女性の従属』(一八六九年)を出版した同時期の一八七〇年に発表された「中津留別の書」でもすでに女性の独立自尊を主張しているからだ。
 「日仏の学者の中には諭吉を西洋の考えを単に取り入れただけという人がいますが、怒りを覚えます。『福翁自伝』を読むと、諭吉が自分の考えを明確に持った啓蒙者であることが良くわかります」と述べ、諭吉イコール通訳者との見方を強く否定する。
 フランスでは明治維新は「日本の近代革命」として興味を持たれているが、実態はあまり知られていない。その点、「諭吉は知識人として革命という特別な時代を生き抜いた人で学校(慶応義塾)も創設した。フランス人にも極めて興味ある人」というソシエさんは二人の同僚とともに翻訳に取り組んでいる。完成は諭吉が生誕百七十周年を迎える今年末になりそうだ。
(産経新聞) - 1月5日3時15分更新


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