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[4417] 新年明けましておめでとうございます。福沢諭吉の記事(産経新聞)が載っていたので掲載します。(その1)コメントをつける 削除
2005/1/5 (水) 10:30:12 粟野幹夫
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諭吉の家庭観、フランス人も共感 自伝翻訳中 子供は男女の区別なく愛す

 【パリ=山口昌子】「天は人の上に人をつくらず、人の下に人をつくらず」の言葉で知られる明治時代の啓蒙(けいもう)家、福沢諭吉(一八三四−一九〇一)の家族観に興味を持ったフランス人が諭吉の自伝「福翁自伝」の仏語訳に取り組んでいる。九人の子供を男女の別なく愛し、一夫一婦制を強く主張した、当時としては革命的な考え方に本家、革命の国の国民として大いに共感したからだ。日本でも「女性天皇」や家族の在り方が論議を呼ぶ中、諭吉の家庭論は極めて示唆に富んでおり、参考になりそうだ。
 「書き方が非常に迫力があり、今、読んでも生きている文章。自分の考えを明確に主張しているところにも強く引かれた」。流暢(りゅうちょう)な日本語で「福翁自伝」の魅力をこう説明するのは国立東洋言語・文化研究所(INALCO)の日本研究部門のマリオン・ソシエ教授。
 特に興味深いのは四百五ページの「福翁自伝」(慶応義塾大学出版会)のうち約十ページを占める家庭について語った部分。「人の考えを変えないと、明治維新後、新法を制定しても日本が変わらないということを強く諭吉が意識していたことがよくわかる」と指摘する。
《「福翁自伝」仏語訳 「女性の独立自尊」に注目》
 例えば、九人の子供に関する次のような記述だ。《私に九人の子供があるが、その九人の中に軽重愛憎ということは真実一寸(ちょい)ともない。また四男五女のその男の子と女の子と違いのあられよう訳けもない。世間では男子が生まれると大層めでたがり、女の子でも無病ならまずまずめでたいなんて、おのずから軽重があるようだが、コンナ馬鹿げたことはない…私は九人の子がみんな娘だって少しも残念と思わぬ…》
 次いで、《道徳学者は動(やや)もすると世界中の人を相手にして一視同仁なんて大きなことを言ってるではないか。まして自分の生んだ子供の取り扱いに、一視同仁が出来ぬというような浅ましい事があられるものか》と述べ、偉そうなことを言いながら、旧態依然の世間を痛烈に批判している。
 「福翁自伝」が諭吉が創設し、主筆を務めていた「時事新報」に連載されたのは一八九八年七月一日から九九年二月十六日だが、聞き書きが行われたのは九七年十一月から九八年五月だ。一九〇一年に没した諭吉が、自分の一生を率直に語ったもので、聞き書きに手を入れて掲載された。
 諭吉は二十八歳の時、上流士族の十七歳の二女と結婚。《家の中に秘密事なしというのが私方の家風…ドンナ事でも言われないことはない…》と述べ、夫婦親子が平等という極めて進歩的な家庭を築いていた。
 


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2005/1/5 (水) 10:33:09 粟野幹夫
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子供の教育に関しても、《まず獣身を成して後に人心を養うというのが私の主義》とし、三歳五歳までは体育を重視し、学問は七、八歳からで十分としている。
 この聞き書きが行われた前年には日本の近代社会を目指した民法が制定されている。民法では一夫多妻は否定しているものの、実は内縁関係は認めている。当時はお妾(めかけ)さんなる存在も珍しくなかったという旧態依然の背景がある。
 《私の内が夫婦親子睦じくて私の行状が正しいからといって、特に誉めるほどのことでもない。世の中に品行方正の君子は幾らもある。私もまた、これが人間唯一の目的で一身の品行修まりて能事終るなんて自慢をするような馬鹿でもないと自ら信じている…》と断りながらも、次のように記している。
 《一夫一婦の正論決して野暮でない…私の身がこの先き何時(いつ)まで生きているか知れぬけれども、有らん限りの力を尽して、前後左右を顧みずドンナ奴を敵にしても構わぬ、多妻法を取り締めて、少しでもこの人間社会の表面だけでも見られるような風にしてやろうと思っています》。
 ソシエさんは、「まず、彼の激しい調子に驚かされます。しかし、この時期、日本では開国以来、進歩してきたのに、古い考えが復活してきたのを否定したかったのではないかと思います」と指摘。「福翁自伝」は諭吉の一種の遺言で、この激しい一夫多妻批判の言葉には、日本の近代化が後戻りしないようにとの強い警告が込められているとの見方を示している。
 諭吉は、「日本婦人論」「女大学評論・新女大学」などで女権論を展開するが、ソシエさんは諭吉がこうした考えを抱くきっかけとなったのは、生誕間もなく父親を亡くし、女手一つで五人の子供を立派に育て上げた母親の存在があったからではないかと指摘する。
 諭吉がスチュアート・ミル(英国の十九世紀の哲学者)の影響を受けたことは知られているが、ミルが『女性の従属』(一八六九年)を出版した同時期の一八七〇年に発表された「中津留別の書」でもすでに女性の独立自尊を主張しているからだ。
 「日仏の学者の中には諭吉を西洋の考えを単に取り入れただけという人がいますが、怒りを覚えます。『福翁自伝』を読むと、諭吉が自分の考えを明確に持った啓蒙者であることが良くわかります」と述べ、諭吉イコール通訳者との見方を強く否定する。
 フランスでは明治維新は「日本の近代革命」として興味を持たれているが、実態はあまり知られていない。その点、「諭吉は知識人として革命という特別な時代を生き抜いた人で学校(慶応義塾)も創設した。フランス人にも極めて興味ある人」というソシエさんは二人の同僚とともに翻訳に取り組んでいる。完成は諭吉が生誕百七十周年を迎える今年末になりそうだ。
(産経新聞) - 1月5日3時15分更新



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2005/1/12 (水) 07:48:38 久恒啓一
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▼ 粟野幹夫さん

いい情報をありがとうございます。
「福翁自伝」は私がもっとも好きな
自伝です。
中津に帰るとき、よくこの旧居を
訪ねています。

ことしもよろしくお願いします。

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