梅棹先生があって「知研」がある

野田 一夫

 梅棹忠夫先生が雑誌『図書』に「知的生産の技術について」と題する連載を始められた頃から、早くも40年近い歳月が流れようとしています。読者からの予想外の反応に励まされた先生は、その後この連載記事の内容に綿密な補筆訂正を加えられた末に名著『知的生産の技術』(岩波新書、1969年)を出版され、日本の知識人の間に大きな衝撃を与えました。

 知識を効率的に獲得し、保持し、利用する…方法の開発といったことなど、明治時代(いやそれ以前)から多くの日本の知識人では、まともに検討されたことすらなかったからです。先生のこのご本は、(全く皮肉なことに)大学を除く広い分野の知識人の間に絶大な影響を与え、考え方のみか実用の面でも豊かな実りをもたらしました。例えば、ここ数年立てつづけにビジネス書部門のベストセラーの偉業を達成した久恒啓一君(宮城大学教授)の「図で考える」発想と技術もまた、その起源を辿れば梅棹先生に行き着くのです。

 先生を始祖と仰ぐ人たちで自然に創られていった勉強会や研究会は無数にありますが、その代表的なものは、今や全国組織のNPO法人にまで発展した「知研」(知的生産の技術研究会)です。梅棹先生が当初から顧問であることはもちろんですが、光栄なことに僕も数年来顧問として名を連ねています。そしてさらに嬉しいことに、今春の全国総会で、久恒君が理事長に選出されてしまったではありませんか…。

 先週金曜夜は「知研」仙台支部の集まりにお招きを受け、『出逢う』というテーマで講演をしました。過去四十年以上本業もどきに講演をつづけてきた僕にとっても前例ないテーマでしたが、幸い聴衆の反応は上々…。理事長を擁する支部会員となるとさすが元気さが違うと、頼もしく感じた次第です。

野田一夫website ラポール457号より

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