99/9/14夏期特大号
学生企業家列伝
−彼らを育てる懐の深さが必要だ−
宮城大ベンチャーサークル「デュナミス」
その名も「事業構想学部」に学ぶ学生たちの実学サークル

 「年季をつまなければ身につかない知識、技術のことを『キャリア』というが、宮城大学はキャリアを開発しています。学生は将来どんな職業に就いても、大小さまざまなプロジェクトを中心になって企画し、進行していけるような社会人になって欲しい。そのために大学生活から『創職』する発想を身につけることが必要なんです。」
 実学を重んじ、産学連携を推奨する野田一夫学長がこうした願いを込め、県立宮城大学を設立したのが、1997年。
 高校卒業後、雑誌編集、劇団主宰を経て、フリーのイラストレーターとして活躍していた力丸萌樹氏は、当時この野田氏の「創職」という言葉に触れ「ぱっと目が開かれたような」衝撃を受けたと話す。
 社会人特別選抜枠十名のうちの一人として、「事業構想学部」 に合格。宮城大学一期生として再び学生生活を送ることを決意した力丸氏は、入学後、サークルも何も出来上がってない新しいキャンパスで内で、ベンチャーサークル「デュナミス」を立ち上げた。
 「デュナミス」とはギリシア語で奇跡の意。ホームページの作成をはじめとする電子技術を使ったサービス、イベントの企画・運営が主な活動内容だ。
 そもそも行政主導型で市民との交流が希薄だった地元サッカーチ−ム、ブランメル仙台の広報支援からスタートしたサークルは、その後、県が主催する子供たちのための合宿パソコン教室「みやぎ情報天才異才塾」の運営、サッカープロジェクトから枝分かれした「2002年ワールドカッププロジェクト」の誕生と、次第に学外へと活動領域が広がってきた。
 「県のプロジェクトにかかわることで、学生たちが県の抱える課題を知ることができますし、こんな機会は滅多にありません。」
 こう話すのは「デュナミス」に助言を与えつづけている学生部長の久恒啓一教授。久恒氏は元日本航空の社員で経営戦略の中枢を担ってきたエリートだ。サラリーマン時代に通っていた「知的生産の技術」研究会での成果が野田学長の目に留まり、宮城大学にスカウトされた。
 教授の半数以上が久恒氏のように民間企業出身というところも、「事業構想学部」の大きな特徴になっている。
 「県の委員をいくつもかねている教授ばかりですので、そこで発生した仕事を学生に投げかけられるという構造にもなっています」
 産官民、そして学というより「生」が一体となって初めて社会に貢献する事業が生まれると力説する久恒氏。
 2002年、ワールドカップ開催と同じ年に力丸氏らは一期生として社会に巣立っていく。「デュナミス」で実行してきた数々のプロジェクトを振り返りながら、企業を念頭に入れた卒業後の進路を模索している。
 「継続的な仕事も発生してきましたし、このサークル活動を学生の四年間だけで終わりにしたらもったいない気がします」
 どうやら力丸氏は「創職」するためのキーワードを学生時代に見つけ出したようだ。

経済界

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