朝日Will 平成10年12月8日
みやぎ国体を「バリアフリー国体」として成功させよう
 2001年、21世紀幕開けの年に開催されるみやぎ国体。宮城県では「バリアフリー国体」と位置づけ、障害者や高齢者が気持ちよく競技や観光できるように受け入れ体制の整備を推進している。このバリアフリー国体構想の提唱者が、宮城大学事業構想学部の久恒啓一教授。
 「国体の長い歴史の中で、みやぎ国体が、障害者が初めてデモンストレーション競技に参加する国体になると聞いてひらめいたのです。『バリアフリー国体』というテーマでハード面ソフト面の整備を行い、全国的にアピールすれば、福祉レベルが低いとされる宮城の名を一気に挽回することになります。さらに、宿泊施設や飲食店、宮城県内各地の観光地の整備が進めば、さまざまな形でバリアフリー需要を掘り起こすことができ、経済の活性化にもつながるはずです」
 この構想を日本一の福祉先進県を目指す浅野知事がとりあげ、宮城県全体で、バリアフリー国体に向けて動き出した。今年の夏には、県庁内にバリアフリー国体推進本部が開設された。国体で使用される宮城県内の各施設と周辺地域の点検調査を行っている。平成11年度以降には、宮城県ならびに各市町村で予算措置がとられ、各施設のバリアフリーのための整備が始まる。
 「ハード面の整備は着々と進んでいます。これからは、県民の中にバリアフリー国体の意義を浸透させ、いかに県民運動として盛り上げていくかが課題。ですからぜひ、県民の皆さんにさまざまな形で参加してほしいのです。例えばボランティアとして、障害者やお年寄りを会場で世話したり、観光地での案内役をつとめたり・・・。できることはたくさんあるはずです。興味がある方はぜひ宮城県庁内の夢プラン室へ問い合わせて下さい」と呼びかけている。
 宮城大学の教授となる前は、日本航空株式会社のサービス委員会事務局次長をつとめていた。この時に障害者が旅行するためのサービスシステム作りを手がけた。その体験がバリアフリー国体の提唱につながった。
「障害者の方々から安心して気持ちよく旅行できたと感謝の声を寄せられるたびに、社員の心に灯りがともり、自信が生まれました。それと同様にこの国体が成功すれば、宮城県全体が変わるはず。私自身、とても楽しみにしているんですよ」。
 平成9年4月、宮城大学の野田一夫学長に請われて、サラリーマンから大学教授へと転身をはかった。大学では、ビジネスマンとして社会で役立つビジネス・コミュニケーションを教えている。
「住み慣れた世界から新しい世界に飛び込むというのは、文字通り清水の舞台から飛び降りるような気持ちでした。しかし、思い切って扉を押し開けたらサラリーマン時代には考えられなかったおもしろい人生に出会えたんです。現在は、講義をするかたわら、学生部長をつとめていますが、学生たちはとても意欲的で熱心。将来が楽しみです。さらに、宮城県の行政改革にも関わるなど、教育者、研究者としてばかりでなくさまざまな分野で活動の場が広がっています。妻には日航時代よりも暇になるはずじゃなかったの、と言われますが・・・」と笑う。
 久恒さんは、エネルギッシュに走り続けている。
朝日Will提供

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