平成10年7月14日 河北新報
論壇 宮城大学事業構想学部教授 久恒 啓一(仙台市)
 昨年の宮城県知事選は、政党連合対無党派層の戦いという構図の中で、全国的な注目を集めた画期的な選挙であった。しかし、候補者による選挙戦の舌戦の過程で、宮城県の福祉レベルの低さについてのイメージがメディアを通じて全国にばらまかれたことは、県民として残念なことであった。今、この汚名を一掃する千載一遇の機会が訪れようとしている。
 
 宮城県は二〇〇一年(平成十三年)に開催される新世紀みやぎ国体を障害者や高齢者に配慮した「バリアフリー国体」として位置づけることを発表した。バリア(障害・壁)をフリー(取り払う・自由になる)にするのがバリアフリーの意味である。
 くしくも二〇〇一年という二十一世紀の幕開けの年に開催されるみやぎ国体は、デモンストレーション競技ではあるが、バドミントンなどの障害者スポーツが、競技種目に史上初めて入るという歴史的な意義を持つ国体である。
バリアフリー国体を実現させよう  一味違う環境づくりを

 「日本一の福祉先進県」を目指す宮城県としては、全国障害者スポーツ大会も引き続き開催されるという絶好のチャンスを生かして、参加する障害を持ったスポーツ選手、障害を持つ応援者や高齢者などの観客が、気持ちよく競技に参加し、観戦し、移動し、旅行する環境を整えることを、この国体の眼目にするというアピールである。
 県は生活者重視の観点から、さまざまな施策を懸命に打っているが、障害を持つ旅行者、高齢者に対する配慮は、交通機関・温泉なの観光施設などを見ると十分とは言えない状況であり、この国体を一つの契機として、宮城県らしいひと味違うメッセージを全国に発信すべきである。
 障害者が利用できる旅館、店舗、レストラン、温泉、観光地などのバリアフリーモデルを全国に先駆けて発掘できれば、それに啓発された企業や地域が現れ、バリアフリー需要を喚起することができ、経済の活性化につながっていくだろう。
 
 この国体が成功すれば、二〇〇一年を初年度として毎年行われる国体が、バリアフリーという理念を当然の前提として開催されることによって、一都一道二府四十三県を数える日本全体が、二十一世紀の中葉までには障害者や高齢者にも住みやすい国になっていくことが期待できる。
 これは戦後、失われてしまった愛国心や人々の公共心、そしてボランティア参加の心構えなど、新しい意味での人的な社会資本を整備することにもつながってくる。それが半世紀に及ぶ継続的な地域づくりを通じて、新しい国づくりへの展望を切り開くプロジェクトになる可能性もある。
 みやぎ国体の翌二〇〇一年に日韓共催で開催されるサッカーのワールドカップでは、宮城、東北に全世界から選手やサポーターが訪れることになる。日本国内を対象とした国体、世界を相手にしたワールドカップサッカー大会と、連続して宮城の地で行われるビッグなスポーツイベントは、天から授かった地域活性化のチャンスととらえるべきものだ。スポーツイベントが息の長い地域づくり、国づくりに直結したすぐれた例になるだろう。
 
 また二〇〇一年を国体だけで終わらせるのはいかにももったいない。世界一高性能の車いす、高感度でやさしい性能を持つ補聴器やコンピューターなど最先端機器を世界中から集めた「バリアフリー産業見本市」の開催も考えられる。それは内外の注目を浴びるにとどまらず、企業家の魂をゆさぶり、東北における新産業の創出にも大きな役割を果たすことになるだろう。
 自らの事情からのみ発想するのではなく、「時間」という資源をよくにらんで、施策に求心力を持たせることが必要である。それが総合力となって、いつのまにか大きな流れに育っていく。
 選挙、大学、行革、国体など「みやぎ方式」が定着していくならば、その延長線上に魅力的な地域が形づくられていくことになる可能性が出てくる。宮城県には今、風が吹いている。この風をうまくとらえて、日本列島に漂う重苦しい閉塞(へいそく)感を打ち破り、新たな国づくりに向けて、大きなうねりに仕上げていく構想力がまさに求められている。
(投稿)

河北新報社提供

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